創建七八〇年の
歴史、脈々と。
摂政関白・九條道家の造営による日本最古最大の禅宗大伽藍
京都五山 東福寺
創建は古く鎌倉時代。ときの摂政関白・藤原(九條)道家が、南都東大寺と興福寺から「東」と「福」の二文字をとり、九條家の菩提寺として造営。仏殿には高さ15メートルの大仏立像を安置。京の「新大仏寺」として、1236年より実に19年をかけて、都最大の伽藍を完成させました。
開山には聖一国師を仰ぎ、当初は天台・真言・禅の三宗兼学として壮大な堂塔伽藍を配置。鎌倉末期の相次ぐ火災により大部分を焼失しましたが、直ちに復興に着手。1347年、前関白一條経通により仏殿が再建され、京都五山の1つにふさわしい禅宗寺院として、偉容を取り戻しました。
その後は足利、豊臣、徳川家によって保護修理が加えられ、奇跡的に都の兵火を逃れて中世以来の堂塔伽藍を継承。惜しくも明治14年、方丈・仏殿・法堂などを焼失・再建されましたが、今なお中世の禅宗建築を随所に遺しています。
境内にある通天橋は紅葉の名所として有名。昭和の作庭家・重森三玲による方丈庭園も知られるところです。
日本で最初に国師と称された禅僧
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一時坐禅すれば、一時の仏なり
『聖一国師語録』より
一日坐禅すれば、一日の仏なり
一生坐禅すれば、一生の仏なり
聖一国師を開山として
聖一国師こと円爾弁円(1202~1280)は、花園天皇より初めて国師号を贈られた禅僧です。
駿府国(現在の静岡市栃沢)に生まれ、久能山久能寺(現在の久能山東照宮)に登って堯弁法師の室に入りました。その後、三井園城寺で天台学徒となり、栄西(建仁寺開山)の高弟、行勇・栄朝を師としました。
33歳で宋に渡り、杭州径山万寿寺の佛鑑禅師の法を嗣ぎ、6年を経て帰朝。筑紫にに崇福・承天二寺を建て法を説き、名声が国内に及ぶや摂政関白・九條道家に都に迎えられ東福寺を開山。やがて歴代天皇や幕府北条氏の帰依を受け、京の岡崎尊勝寺、大阪四天王寺、奈良東大寺などの再建復興にも尽力。延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導して、その学徳は国中に称えられました。
国師は中国より多数の典籍を持ち帰り、多くの弟子を育成しました。また水力を用いて製粉する器械の構造図を伝えて製麵を興すとともに、杭州径山の茶の種子を郷里に伝えた静岡茶の茶祖でもあります。
境内案内
名にしおう通天橋の紅葉。三ノ橋川の渓谷を開いて連なる大伽藍。
わが国最古最大の、中世から伝わる禅宗建築。